2018年12月02日
かつてのマネージャー
かつて団体のスタッフ兼マネージャーだった男
から連絡があった。
その男は幼稚園の頃からと長い付き合いだ。
そんな彼から断捨離中に昔の名刺が出てきたと。
自身の名刺に加えて僕と炎の名刺まで。
懐かしい、15年前の名刺かな。
団体名がまだ「大分AMWプロレス」だった頃。
団体名を変えた理由は一般的により分かり易くしようと入れ替えただけ。
当時、彼の仕事内容はマネジメント業務や営業、興行等の準備、
夜は今はなき大分フォーラスというファッションビルの事務所で
ファミコンを懐かしみ遊んだり、企画会議する毎日だった。
仕事帰りは近くの若草公園でいつも酒を片手に将来を語り合っていた。
毎晩遅くまで語り、家に帰り着くのが何時になっても苦ではなかった。
事務所を借りて何とか仕事ができてる事の喜び。
プロ化して2年経った頃だろう。
全てはAMWで食っていくためであり、自分自身のためだった。
彼は現在、宮崎市内でハンモック販売とカフェを家族とともに営んでいる。
道は分かれても付き合いは何ら変わらない。
彼はこの名刺を“人生の足跡。永久保存版”だと言った。
そのあとは何とも言えないスーッとした気持ちに。
あの頃のハングリーさと野望があったからこそ互いの今がある。
月並みな言葉だけど、苦労は人を成長させるし財産である。
お金がなくても輝いていた美しい時代。
Posted by ジ・アッチィー at 13:20